2008年7月4日金曜日

四天王寺 布袋堂 (大阪)


聖徳太子の乳母を祀ったのが始まり
布袋の乳の豊かさと 乳の出がよくなるようにとの信仰が結びついた
物部守屋と蘇我馬子の合戦で勝利の後
願かけ「この戦いに勝てるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」を果すため
聖徳太子(蘇我派)が四天王寺を建立(593年)
「四箇院の制」=「帰依渇仰 断悪修善 速証無上 大菩提所」
つまり「仏法修行道場である“敬田院”、 病者に薬を施す“施薬院”、
病気を癒す “療病院”、孤児や老人を収容する“悲田院”の
四つの施仏教の根本精神の実践の場」

近江神宮 (滋賀)


皇紀2600年(1940年) 近江遷都(667年)した天智天皇を祭神として設営
天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置した歴史から時計博物館が併設
天智天皇が小倉百人一首の一首目の歌を詠んだのにちなみ競技かるたが行われている

出雲大社 (島根)


国譲りに応じる条件として 国津神である大国主神の宮を 天津神(天皇)が建立
単なる在地の信仰などではなく、国家的な事業として行われたことがうかがえる

善光寺 (長野)


本尊一光三尊阿弥陀如来は552年仏教伝来の折りに伝えられた日本最古の仏像。
廃仏派の物部氏により捨てられたが信濃国司の従者本田善光が信濃に持ち帰る。
644年伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられた。

藤樹神社 (滋賀)


中江藤樹を敬慕する人々により、大正11年建立
近江出身の江戸時代初期の陽明学者 近江聖人と称えられた

住吉大社 (大阪)


伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、火神の出産で亡くなった妻・伊邪那美命
(いざなみのみこと)を追い黄泉の国(死者の世界)に行きますが、
望みを達せられず、逆に汚れを受ける。その汚れを清めるため海に入ったとき、
住吉大神の底筒男命(そこつつのをのみこと) 、中筒男命(なかつつのをのみこと)
表筒男命(うはつつのをのみこと)が生まれた。
二十二社

諏訪大社上社本宮(長野)

天照大神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際し、
武甕槌命(たけみかづちのみこと)が出雲の大国主命に
国譲り(出雲王朝の支配権譲渡)を迫った。
大国主の長男建御名方命は反対し、武甕槌命と相撲をしたが負け、
諏訪まで逃れ王国を築いた。諏訪大社の起源は、この神話にある。
しかし本来の祭神はミシャグジ等の土着信仰のものが殆どで
建御名方命などに関わるものはわずかである。
古来から信仰されていた土着の神(国津神)であり、縄文時代以来の土着信仰は
御柱祭などの諏訪神社の祭祀行事全般に名残を残している。
神話は天皇家を中心とする律令制国家の成立の過程で、
政治的理由で後から作り上げられたものである。

どいちゃん日記
絵馬めぐりin京都